【難聴手術の体験談②】突発性難聴で聴力を失ったが人工内耳で聞こえが復活。人の声が聞けるのがうれしい|カラダネ

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【難聴手術の体験談②】突発性難聴で聴力を失ったが人工内耳で聞こえが復活。人の声が聞けるのがうれしい

解説 カラダネ編集部

難聴の手術として、今、人工内耳を装用する人が増えているといいます。
カラダネでは、難聴の治療法として大きな注目を浴びる人工内耳について、実際に手術を受けて装用している人に取材をして、記事をまとめています。今回はその第二弾。
難聴で人工内耳手術を受けた第一弾の体験記事については、一番下の関連記事からご覧ください。

人工内耳の良し悪しは、実際に装用している人から情報を聞くことが大切ではないでしょうか。ぜひ、参考にしてください。
また、難聴の予防法、病院での治療法、人工内耳などについてくわしく知りたい方も一番下の関連記事から参照ください。

突発性難聴をきっかけに聴力が急低下

この記事で、人工内耳の装用体験を話してくださったのは、野明美智代さん(会社員・56歳)です。野明さんの人工内耳装用歴は長く、25年になるといいます。野明さんが人工内耳を使い出したきっかけはなんだったのでしょうか。

「私は24歳のときに突発性難聴と診断されました。原因はわかりません。
2人めの出産の直後、突然、左耳にキーンと耳鳴りがして治まらなくなり、聴力が低下しました。当時の医師からは、「片方の耳が突発性難聴で聞こえなくなっても、両側とも聞こえなくなることはまずないだろう」といわれましたが、ほどなくして右耳も、聴力が低下していったのです。
私は当時、“真綿で首を絞められているような苦しみを感じていました。補聴器も軽度から中度、高度のものを使うようになりましたが30歳のころからボリュームを大きくしても相手の言葉を理解できなくなりました」

鳴っているだろう電話が取れない、呼び鈴を聞き逃す…ハンデに悩んだ

野明さんは、突発性難聴で聴力が低下しはじめたときのことを次のように回想します。
「当時、特に困ったのは息子たちとのコミュニケーションです。当時は2人とも小学校の低学年で、まだまだ母親にかまってもらいたい盛りでした。筆談で最低限の意思疎通はできましたが、書くのが遅くお互いにイライラ。また、息子たちと外出したとき、後ろから来ている車のクラクションに気づかず何度も怖い思いをしました。

また、鳴っているだろう電話が取れない、かけられない、息子たちや宅配業者が自宅の呼び鈴を鳴らしても聞き逃してしまう、普通の目覚まし時計では起きられないなど、
さまざまな生活シーンで重度難聴のハンデに悩まされました」

難聴の改善をあきらめたくない。人工内耳は最後のチャンスと思った

野明さんは、25年前に人工内耳手術を受けられましたが、いったいどんなきっかけだったのでしょうか。
当時は、今以上に人工内耳が世間的に知られていませんでした。私は、新聞に掲載されていた人工内耳の記事をたまたま読み、虎の門病院耳鼻咽喉科で手術を実施していることを知りました。

妹に話したらすぐに病院に電話をしてくれて、耳鼻咽喉科医の熊川孝三先生(現・赤坂虎の門クリニック)にお目にかかって人工内耳の説明を受けることになったのです。

熊川先生は、日本における人工内耳手術の先駆者で、多くの患者さんを執刀しています。説明を聞くうちに、これが聴力を取り戻す最後のチャンスだと思いました。

私は、難聴を改善させたいと鍼灸、漢方薬、カイロプラクティックなど本当にたくさんのことを実践し、必ず治ることを信じていました。それでも、聞こえの回復どころか低下していく聴力を止めることもできませんでした。
もしかするとこれも期待を裏切られるかも知れないと一抹の不安はありましたが、装用者の話を聞いたりしているうちに今度こそ、この人工内耳こそ最後の希望だと思ったのです。そして、家族や両親の協力も得て手術に望みました

ちなみに、野明さんは、世界で最も使用されている人工内耳メーカーのものを装用することにしたそうです。

息子たちのためにも人工内耳手術を受けてよかった

野明さんが難聴を患い、人工内耳の手術を受けた時代は25年前のこと。今とは状況が全く違います。
「私が手術を受けたのは、人工内耳手術に健康保険が適用される前年でした。ですから、入院費から手術代、インプラント、サウンドプロセッサの費用まで全額自己負担。総額で400万円ほどかかりました。(※現在は保険適用になっているので、経済的な心配をする必要はありません)
当時は、健康保険適用がいつになるかわからなかったし、聞こえなくなってからの期間が短いほど術後の成績も良好とも言われました。何よりも自分が聞こえない暗闇から脱出したかったのだと思います。

後年、長男から「あと1年も、お袋が聞こえなかったら俺たちグレてた」と打ち明けられました(笑)。自分だけではなく息子たちにも辛い思いをさせていたんだと痛感しました。
お金はかかりましたが、先送りすることなく早めに人工内耳手術を受けて正解だっと思います」

ドアの音や足音が聞こえる。自分の存在を自覚できる

野明さんは、難聴による人工内耳手術を受けたのは右耳でした。
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私は、手術はうまくいきましたが、入院中に回転性のめまいが半日ほどあり、舌先のしびれ、味覚障害、3ヵ月くらいありました。

音入れ(初めて人工内耳を介した音を聞くこと)は、退院から1週間後でした。熊川先生や言語聴覚士、主人、両親、人工内耳メーカーのスタッフなど、多くの人に見守られながら行いました。初めてサウンドプロセッサの電源を入れたときに届いた第一声は、父の「ミチヨ、キコエルカ?」という呼びかけです。

それはなんといいましょうか……みなさんにご理解をいただけるかわかりませんが、ディズニーアニメのドナルドダックのような声に聞こえました。言葉として聞き取れたことに感動し、両親と抱き合って喜んだことは忘れられません。
人工内耳を装用して気づいたことは、ドアが閉まる音や、足音などが聞こえることで、『自分は、今ここにいる、生きている』と存在を自覚できることです。聴覚は、人どうしのコミュニケーションだけでなく、さまざまな面で私たちの内面にかかわっていると感じます」

今は、ハトやスズメなど鳥の声もわかるようになった

野明さんは話を続けます。
「今は、私は人工内耳のおかげでハトやスズメ、ウグイスの鳴き声も識別でき、生活を楽しんでいます。
また、サウンドプロセッサは充電式バッテリーのものを使っており、扱いがずいぶんとらくです。1.5テスラのMRI(磁気共鳴断層撮影装置)検査を受けられます。条件つきですが、MRI検査を受けられるのは大きなメリットですね。

逆に不満というと、私の場合は耳が小さいためか、サウンドプロセッサをうまく固定できず、いつも眼鏡のテンプルエンドで押さえつけている状態です。不意にずり落ちることも多く、サウンドプロセッサは高価なので紛失したら困りますので、名前や電話番号を記入しています。

あと、サウンドプロセッサは完全防水ではないので、入浴時に外さなければならず面倒です。温泉や海水浴に行ったときも外す必要があり、非装用のときは全く聞こえないので話ができレジャーの楽しみが半減してしまいます(注①)」

注①
サウンドプロセッサそのものに防塵・防沫機能があるものもあります。また、サウンドプロセッサの防水カバーが製品化されており、そのカバーをつけると海(塩水)やプール(塩素水)はもちろん、石鹸水やシャワーの中でも使用できるようになるものが開発されています。

人工内耳で、私は「音」だけではなく「人の言葉」が聞きたい

装用歴が長い、野明さんにしかわからない人工内耳のメリットやデメリットがあります。野明さんは、メリットを次のように話してくださいました。

「私が人工内耳手術を受けた理由の1つとして『息子たちの声を聞きたい』という切実な願いがありました。例えば、世の中にとても増えている老人性難聴の高齢者の中にも、『孫の声を聞きたい』と思っている人は多いはずです。そうした願いがあるなら、人工内耳手術を受けてみてはいかがでしょうか。

『音』が聞きたいというよりは『声』を聴いて話がしたいーそれが私の願いでしたから。

私は、人工内耳手術を受けたあとは、気持ちが明るく前向きになりました。どんどん外出できるようになり、趣味の書道やマラソンを再開したり、富士山に登ったり、パソコン操作を習って再就職したりと、人工内耳を装用してから多くのことに挑戦しています。
近ごろは、人工内耳の装用者を外出先でよく見かけます。マラソン大会に出場したときや、富士山に登ったときにも、人工内耳の装用者とばったりお会いし、おしゃべりしました。

やはり、手術を受けるというのはハードルがあります。とはいえ、難聴の人にとって人工内耳手術は、アクティブな生活をはじめるきっかけになる場合も多いと思います。もちろん人工内耳が完璧なわけではないのですが、重度の難聴の方は一度検討してみることを私はおすすめします」

重度の難聴の人には、人工内耳は有力な治療法とされます。主治医に相談したり、カラダネの他の記事を見たり、自分で資料を請求したりして十分に検討してみてください。

記事にあるセルフケア情報は安全性に配慮していますが、万が一体調が悪化する場合はすぐに中止して医師にご相談ください。また、効果効能を保証するものではありません。

写真/© Fotolia ©カラダネ

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